2009年8月16日 (日)

つくば工科高校作成のDVD

このブログはniftyの「ココログ」を使わせていただいていますが、管理ページの「アクセス解析」の中に「検索ワード/フレーズ」があります。どんなワードやフレーズから、このブログがヒットしてご覧いただいたかが分かるサービスです。

ここ数日、検索ワードに「飛行場橋」「谷田部飛行場」「谷田部航空隊」が急激に増えました。終戦記念日だし、そういうことに関心をもつ方が増えたのだろうぐらいに思ったのですが、実はそうではなく「常陽リビング」の一面でつくば工科高校放送委員会さんが作成したDVD「谷田部海軍航空隊の記録」が紹介されたためだろうということが分かりました。常陽リビング紙の記事はこちら

紙面からしか内容は分かりませんが、新潟や宮城にまで行って当時の隊員に取材するあたりは、テレビのドキュメンタリーのようで高校生とは思えません。すごいです。放送委員会を担当された先生の熱意を感じます。その先生の「私たちは本当に深いところまで知ってしまったんだなぁという責任感で、胸がいっぱいでした」という言葉は心に残ります。

是非、一度拝見したいものです。市立図書館に寄贈されるとか、文化祭あたりで上映するとかされるとありがたいのですが。

ところで、「谷田部飛行場」などの検索で当ブログにお出でいただいた皆さん。当ブログでも谷田部飛行場・谷田部海軍航空隊について調べたものがあります。左側のバーの「カテゴリー」の一番下に「谷田部飛行場」がありますので、よろしかったらご覧ください。最近ちょっとネタ切れなのですが…。「昭和隊」や「バンカーヒル」について調べたことが少しあるのですがまだUPできるほどの記事になっていません (^_^;)

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2008年2月27日 (水)

土浦航空隊神社の大鳥居

Ksmj1産経ニュースのサイトで「旧海軍の土浦海軍航空隊内にあった『土浦航空隊神社』の大鳥居が、戦後62年以上の時を経て発見された」という記事を見つけました。
産経ニュース:「『大鳥居』62年ぶり発見 元予科練生直感ぴたり」
(2008.2.10)
 その鳥居は,谷田部の小白硲(これは読めないですよね~。こじらはざま,と読みます)の鹿島神社にあると言うことなので行ってみました。

 一度別件で行ったことがあったのですが,まさかこの鳥居がそうだとは思いませんでした。「大鳥居」というほど大きい物ではありませんが,土浦航空隊神社のお社が谷田部神社のお社の大きさと同じぐらいだと考えると,確かに「大鳥居」かもしれません。リンク先の画像の谷田部神社の覆屋の中にあるのが本来の谷田部神社のお社です。

産経ニュースによると
「土浦航空隊神社は昭和16年5月、土浦海軍航空隊内を流れる精進川(現・花室川)の北側に建立された。予科練制度が5年に発足して以来、殉職者の英霊が奉られ、厳しい訓練にいそしむ予科練習生らは毎月15日、全員で整列し、同神社に参拝する習わしだった。」そうです。

 発見の経緯は,産経ニュースのリンク先に詳しく書かれていますが,米軍進駐後の神社の処遇を心配してお社,鳥居とも移設されていたようです。谷田部神社も同様の理由で,谷田部内町の八坂神社境内,そして現在地に移されています。
鳥居には,「昭和十七年七月建立」の文字が。
Ksmj2昭和15年 土浦海軍航空隊開隊
昭和16年12月 真珠湾攻撃
昭和17年6月 ミッドウェー海戦

日本が大きく揺れ動く時代を見てきた鳥居なのですね。

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2006年12月 3日 (日)

谷田部飛行場の掩体壕?

Yhjentaigou 谷田部神社の例祭の時に,地元の方から
「研究団地ができる前までは,けっこう防空壕が残っていたんだけどね」という話を聞きました。さらに他の方からもお話を聞いていると,
「そう言えば,飛行機を隠した所がまだ残っているよ」
「(えーっ!)」
ということで,早速見に行ってみました。

 今まで何度も通ったことのある大きな道路のすぐ脇でした。「産廃の残土が不法投棄されている」と言われれば,そう見えるような感じですが,何となく土手がU字型になっているようにも見えます。研究団地や大通りができる前からあった,というお話なので掩体壕の可能性も高いように思います。
 谷田部飛行場周辺も戦時中は何度か空襲を受けたそうです。空襲の時には,飛行機は掩体壕に隠して,滑走路には木や竹で作った模型の飛行機を置いたそうです。

  昭和23年に米軍が撮影した航空写真を見たことがあるのですが,そこには飛行場の周りに,屋根のない無蓋掩体壕がたくさん見られました。その航空写真と現在の地図を合わせると分かるかもしれません。

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2006年11月29日 (水)

谷田部飛行場の遺構 その1

 先日の谷田部神社の例祭の時に,地元の方から谷田部飛行場の遺構が残っている可能性がある場所を教えていただいたので,探してみました。

Ikou3

 飛行場内にあった「防火水槽」のようです。
 4m×6mぐらいあります。あるお宅の庭先にあり,撮影と掲載の許可をいただきました。
 戦後こちらに引っ越してきた時からあるそうです。危険なので,埋めようとも思ったそうですが,手間がかかるので,ずっとそのままになっているそうです。
 飛行場や兵舎の周りには,このような防火水槽が結構な数あったようです。

Ikou1 畑の中にあるコンクリートの塊です。このあたりは兵舎が建っていたようなので,おそらく何かの建物の基礎と思われます。
 ガードレールの向こう側は,常磐道です。抜け道として,高速の側道をよく通っていたのに,全く気がつきませんでした。

 そして,もう一つ。私が個人的に遺構として最も探していたもの!かつ,その真贋が怪しいもの?を見つけることができました。(つづく)

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2006年11月23日 (木)

谷田部神社例祭

1123yatabejinjya111月23日に谷田部神社の例祭が行われました。

 海軍谷田部航空隊の慰霊祭と聞いていたのですが,実際には地域の方々による例祭でした。そこに,元航空隊の関係者の方が招かれて,ご出席されていました。

 谷田部神社は,もともと現在の農林研究団地や観音台の住宅地に昭和20年まであった「谷田部飛行場」内にありました。飛行隊関係者がお参りされていました。しかし,終戦によって飛行場が閉鎖され,神社も撤去が命じられたそうですが,地元の氏神様と称して米軍の目を逃れ,現在の場所にお祀りされているそうです。

 私が訪ねた正午頃には,すでに祭事は終わった後で,隣接する集会所で懇親会が行われているようでした。小心者なので中に入る勇気はなかったのですが,ちょうど帰られる方がいたので,声をかけさせていただきました。そしたら,ちょうどその方が元谷田部飛行隊の方でした。短い時間でしたがお話を伺うことができました。
1123yatabejinjya2
 また,地域の方からもお話を伺うことができました。子どもの頃は,まだ滑走路や兵舎,プールがのこっていたこと。
 戦後,飛行場が農地として解放され入植し,親を手伝って開墾したこと。やっと農地が整備されてきた頃に,農林研究団地の移転がきまり,反対運動がおきたこと。さらに,常磐高速道路の建設。本当に私たちは,国の施策に振り回されてきた,とおっしゃっていました。
 こんな身近なtころにも,様々な歴史があり,人の思いがあるのだなあと,改めて思いました。


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2005年12月11日 (日)

空中写真 谷田部飛行場跡

金曜の午後から娘たちが順番に風邪を引き,この週末はどこにも出かけずにおとなしくしていました。

そこで,前回紹介した国土地理院の「国土画像情報」を使って,谷田部飛行場の跡地の変遷でも探れないかと考え探してみました。しかし,閲覧可能な最も古い空中写真は1974年(昭和49年)撮影の物でした。以前紹介した地形図だと昭和43年の物が最も近い物です。 飛行場跡地が,開拓によって農地となった頃です。

その6年後の昭和49年の空中写真です。(クリックすると国土地理院の画像にとびます。)

写真を見ると,碁盤の目のように開拓され,防風林の残る土地が見られますが,すでにそこは農地ではなく,農林研究団地のための建設が始まっています。左下の現在,観音台の住宅地になっているあたりには,農地が残っているのが分かります。

昭和42年に研究学園都市の建設・36機関の移転について閣議で了解され,以降,大学や研究機関の施設が次々に建設されます。写真の昭和49年には,国立公害研究所(現環境研究所)の開設,竹園東小学校・竹園東中学校が開校されています。そして,農林研究団地の落成式は,昭和53年(1978年)9月に行われています。

残念ながら,これより古い空中写真は見あたりませんでした。文化財研究に詳しい方のお話によると,終戦直後アメリカ軍が日本中の空中写真を撮影しており,それを見ると谷田部飛行場もはっきりわかるそうです。飛行場周辺には,掩体壕(えんたいごう:空襲から飛行機を守るための壕)も確認できると言うお話でした。

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2005年8月29日 (月)

谷田部飛行場の遺構は…

谷田部飛行場の跡を忍ばせるものはないものかと思い,「飛行場橋」周辺を歩いてみました。

yatabejinjya1 「谷田部神社」です。かつて,谷田部飛行場内にあったものを戦後,現在の位置(8/26「飛行場橋の謎」の地図参照)へ移設したそうです。覆屋の中にかつての神社が鎮座しています。毎年,11月23日「勤労感謝の日」に谷田部航空隊の関係者が集まって慰霊祭が行われているそうです。
※[訂正]11/23日に行われているのは関係者の慰霊祭ではなく,地域の方々が中心になって行われている谷田部神社の例祭だそうです。そこに,当時の関係者をお招きされているようです。(06/11/23)

神社の近くで農作業をされている方がいらしたので,お話を伺うことができました。戦後に近くの地区から嫁いでこられたということでした。昭和30年代までは,滑走路のコンクリートが残っていたこと。その後,農場として開拓され,やがて石をどけてやっと畑として使用できるようになったころに農林省の研究施設建設のために土地を買い上げられたこと。また,現在の筑波学園病院付近には兵舎があり,その後は「結核病院(療養所?)」として使われていた,というお話でした。神社の他にも何か当時の物が残されていないか伺ったが,もうほとんど無いだろうというお話でした。

実は,他の地元の方からもお話を伺う機会があり,「あそこのお宅の塀の一部は当時の兵舎の物だ」とか「○○家の門柱は,飛行場の正門を半分に切った物だ」等の情報を得ることができた。実際,その場に行って塀や門柱を見つけることもできました。なるほど確かに古そうな物でした。しかし,個人宅の物でもあるし,直接当家の方にお話を伺い確認をとったわけでもないので写真等をweb上に公開することは避けたいと考えています。

飛行場がないのに「飛行場橋」という疑問から,60数年前の歴史をさかのぼることができました。谷田部神社の前では,60数年前この社に手を合わせ戦地に赴いていった方々の心中を考えると,現在の平和な世の中のありがたさや大切さを感じずにはいられませんでした。


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2005年8月27日 (土)

発見?!谷田部飛行場

国土地理院(つくば市北郷1番)の情報サービス館に行くと,過去に発行した地図の閲覧(無料)や複写(有料 白黒で500円)ができる。そこで,過去の「飛行場橋」周辺の地図を見てみることにした。mapyatah14c4

平成14年発行の地形図

現在とほぼ同じ。飛行場橋もある。

橋の南側には,農林水産省関連の研究施設が並び,さらに観音台の住宅地が広がる。

mapyatas43c4 昭和43年発行の地形図

常磐道はないので,当然飛行場橋もないが,国道から飛行場橋に向かう道がある。そしてその南側に,広大な農場が広がる。

かつて地元の人から,「周辺の人や大陸からの引き上げてきた人たちが耕作していた農地があり,防風林で囲まれていた」という話を聞いたことがある。

mapyatas29c4 昭和29年発行の地形図

国道と現在の「飛行場橋」と思われる場所の間に,いくつかの建物ある。かなり大きな施設か。また,病院もあったようだ。

さらにその南側には,広大な荒れ地が見られる。

mapyatas22c4 昭和22年発行の地形図

まるでそこだけスッポリ切り取られたかのような土地がある。現在,農林研究団地と観音台の住宅地にまで広がる広大な土地。ここがどうやら「谷田部飛行場」だったようだ。

また,飛行場の北側に見られる建物群は,兵舎の建物だったのだろうか。

地元出身の50代の方から,子どもの頃飛行場の跡地に遊びに行くと荒れ地の中にコンクリートの滑走路らしきものがあったという話だった。また,大きなプールや給水タンクも残っていたという話だ。

つくば(谷田部)には,確かに飛行場があった。では,現在その遺構は残されていないのだろうか。(次回,いよいよ現地へ)

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2005年8月26日 (金)

飛行場橋の謎

「飛行場橋」は,つくば市南部の国道354号線から,筑波学園病院に向かい,さらにその南側,常磐道を越えるために架かっている橋である。(ここをクリックするとYahoo地図情報へ。中央のマークが飛行場橋です。) hikoujyoubasi1 hikoujyoubasi2

「飛行場橋」を北側から見る。橋の向こうは,桜並木で有名な農林研究団地に続く。

橋のたもとには「飛行場橋」のプレートが。そして,橋の下は,常磐高速道路の流れが。

果たして,この地に飛行場があったのだろうか。「谷田部の歴史」(谷田部町教育委員会)を見ると,そこには「谷田部海軍航空隊」の名前がある。しかし,その場所等については,明記されていない。

そこで,戦中あるいは戦後の地図があれば,飛行場の位置が分かるだろうと考え,国土地理院へ行ってみる。(その2へ 続く)

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2005年8月23日 (火)

謎の「電鉄橋」と「飛行場橋」

市内に「電鉄橋」と「飛行場橋」という橋がある。「電鉄橋」は,谷田部地区の谷田川に架かり,「飛行場橋」は,同じく谷田部地区の高速道路に架かる橋だ。しかし,周辺に電車は走っていないし,まして飛行場など無い。

以前から気にはなっていたので,このお盆休みに少し調べてみると…

つくばエクスプレス開業に,そして戦後60年にふさわしい事実に出会うことができた。(Coming Next!)dentetubasi1


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