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2010年10月14日 (木)

エンデュアランス号漂流

チリ北部コピアポ郊外の鉱山落盤事故で,地下約700メートルに閉じ込められた33人の作業員の救出作業が始まりました。今,この瞬間にも救出用のカプセルで地上に引き上げられている作業員の方がいることと思います。8月5日の事故発生から69日ぶりの生還です。

この落盤事故,そして救出劇の報道に接し思い出すのは,今から10数年前に読んだエンデュアランス号漂流」(新潮社)です。

エンデュアランス号漂流 (新潮文庫)
後に「エンデュアランス号」で南極大陸横断を目指す探検隊を率いることになるアーネスト・シャクルトンは,1902年ロバート・スコットの第一回南極探検隊に参加します。この探検行で,スコットらと共に南極点到達を目指しますが、残り733kmの地点で断念を余儀なくされました。

1909年,自ら南極探検隊を組織。ポニーが引くそりで南極点到達を目指しますが,食料の欠乏のため,南極点まであと180kmまで迫った地点(南緯88度23分)で引き返しています。

ロアール・アムンセンが1911年に南極点到達を果したことから、シャクルトンは目標を南極大陸横断に切り替え,1914年に「エンデュアランス号」にて南極に向け出航します。しかし,南極大陸まで320kmのところで氷塊に阻まれ,身動きが取れなくなります。10ヶ月ほど氷塊に囲まれたまま漂流を続けますが,氷の圧迫でエンデュアランス号が崩壊を始めたため,船を放棄し,徒歩にて(そして、氷山が溶けてからはボートにて)氷洋上を踏破し,約500km先のエレファント島に上陸を果たします。そこから分遣隊を率いて救命ボートで航海を行い,約1300km先のサウスジョージア島に救助を求め,さらに山脈を越え,ついに全隊員の救出に成功します。

約1年8ヶ月にわたる漂流にも関わらず,27名の隊員と共に,1人も欠けることなく生還を果しています。このあたりに今回の落盤事故に通じるものを感じます。( エンデュアランス号の方が期間も条件も厳しかったと思いますが。)

シャクルトンは,当初の探検目的は果たせなかったものの絶望的な状況下において隊員の希望を失わせず,かつ,冷静な判断と決断力で奇跡ともいえる全員帰還を成功させたことで,優れたリーダーとして今でも称えられています。実は結構気まぐれで短気だったという評伝もありますが,強烈な個性の隊員たちをまとめるには強いリーダーシップが必要だったのでしょう。

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コメント

先程、全員救出の報道がラジオから流れましたね!

何はともあれ、素晴らしい救出劇でした。

救出を待つあいだ、奥さんと愛人が地上で鉢合わせしてしまい、生還=泥沼が確定していた、リーダーのお医者さんが最後だったので、少し笑ってしまいました。

アポロ13の生還など、困難に直面したときに重要なのは、理性と忍耐力、それに暗くならない陽気さなのだなと、つくづくかんじましたね〜

投稿: ロッキー | 2010年10月14日 (木) 15時15分

無事に全員生還ということで,本当によかったです。
最後に出てきたリーダーが愛人発覚の人なのですね?!
ドラッカーが愛読書だとか。本当かな~と思ってしまいます。
一つの事件に様々な思惑が見え隠れしているように思うのは,勘ぐりすぎでしょうか。

救出された皆さんも有名になってしまって,必要のないプライバシーも暴かれてしまうところが,なんとも気の毒です。

投稿: 平左衛門 | 2010年10月15日 (金) 03時21分

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