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2010年10月30日 (土)

鶴岡八幡宮の大イチョウ

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日本でもっとも有名なイチョウ!?鎌倉の鶴岡八幡宮のイチョウを見てきました。ご存じのように今年(2010年)3月10日の早朝に強風のために倒れ,その後再生のための努力が続けられています。

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努力の甲斐あって,立派に新芽?が育っています。

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倒れた幹は三つに分断され,そのうち根元から4mの部分が元の場所から7mぐらいの所に移植されています。

実はここ数年この時期に毎年仕事で鎌倉を訪れています。昨年の八幡宮の様子がこちらの画像です。
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樹齢800年とも1000年ともいわれています。
源頼家の子,公暁がこのイチョウの木に隠れて待ち伏せて,三代将軍実朝を暗殺したのが1219年ですから,当時の樹齢を考えると人が隠れるほどの太さには成長していなかった!?まあ,今回倒れたイチョウが二代目三代目なのかも知れませんが。
せっかくなので年輪を調査すれば樹齢が分かるのではないかと思うのですが…歴史のロマンに水を差すようなことはしないと言うことなのでしょうか。

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2010年10月24日 (日)

国道291号線

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谷川岳の麓には,国道マニア・廃道マニア垂涎?の国道291号線が通っています。土合から湯桧曽川沿いに清水垰を越え,新潟側の清水集落に至ります。が,現在,車は一の倉沢~清水集落間は通行できません。いわゆる点線国道などと呼ばれています。

大きな地図で見る

この国道は明治18年8月竣工,幅員約5.4mは馬車が通れる,当時最先端の道路だったといわれています。しかし,谷川連峰という地理上の特質から,冬季積雪時,また雪解けが始まる春になると度重なる崩落によって通行止めが余儀なくされ,遂には放棄されることになりました。
この辺のことは,webサイト「日本の道」の国道291号に詳しく書かれています。(個人のサイトですが,その情報量は驚きです。)

土合から一の倉沢出合までは,現在も舗装道路ですが,そこから先は下記のような状態です。
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さらに,芝倉沢から清水垰は山路です。清水垰から新潟側の清水集落までは,道の跡を探すことも困難です。

明治政府が威信をかけて築いた高規格道路も今は藪の中です。

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2010年10月22日 (金)

一ノ倉岳避難小屋

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谷川岳周辺には歩いて1時間おきぐらいに無人の避難小屋があります。画像は一ノ倉岳にある避難小屋です。

中はこんな感じ
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3人も横になればいっぱいでしょうか。水場もトイレもありません。
ここから北に30分も行けば茂倉岳の避難小屋(トイレ,水場有り),南に小1時間行けば谷川岳の肩の小屋(週末?は管理人在駐)に行けます。
なので,この小屋を使う時には,本当に緊急避難的に使うということなのでしょう。

もっとも混雑する小屋を敬遠して,水を持ち上げて,あえてここに泊まろうという人もいるかもしれません。満天の星に囲まれて静寂な一夜を過ごせるのは魅力的かも。

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2010年10月19日 (火)

一の倉沢'10

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険谷に雲が降りてきます。全てを覆い隠すように。

谷川岳が「魔の山」などと呼ばれる由縁は,この谷にあります。周辺の岩場や谷を含め,これまでに800人近い人が亡くなっています。
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谷底に白く見えるのは雪ではなく岩です。
氷河に磨かれた青白い岩は,よく滑ります。
国境稜線からのぞくとこんな感じ。
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小説・映画「クライマーズハイ」の舞台となった衝立岩を稜線から覗きます。
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2010年10月16日 (土)

谷川岳西黒尾根から中芝新道下降

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今年の山登りの目標にしていた日本三大急登の最後の一つ,谷川岳西黒尾根を登ってきました。このところの週末は行事があったり天気がはっきりしなかったりと,少し気をもみましたが,今日は好天に恵まれ秋山を楽しむことができました。

西黒尾根はこれまでも何度も登っています。今回はせっかくなので,まだ通して歩いたことがない平標山までの縦走路を日帰りでやれないものかと考えました。しかし,この時期は日も短いし,今回は前日に登山口まで入ることができません。車の回収のためには,下山口で17:16のバスに乗り,越後湯沢駅から大清水トンネルを越える最終電車の17:56に乗らなければ群馬側に戻ってこられません。朝5時に登山口を出発すれば行けそうな気がするのですが,万が一トラぶったり,膝が痛んだりして17時のバスに乗れなくなると面倒です。結局,平標までの縦走は,来年初夏の日が長いときに実施することにしました。

朝4時につくばを出発。高速を順調に走り6時半に土合に到着。(途中の水上のコンビニで食料を調達。)登山指導センターに届を出して,
7時10分西黒尾根入口を出発。
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前回,西黒尾根を登ったとき(2007,10,13記事はこちら)には,最初の1時間が非常にきつく,10歩歩く度に呼吸を整えていました。しかし,さすがに今回はそんなことはなく快調に登ります。

8時30分「ラクダのコブ」到着
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3年前に比べると,紅葉の赤い色がはっきりしません。
ふり返ると笠ヶ岳・朝日岳の稜線が見えます。
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ラクダのコルで,水とゼリー飲料を飲み一息入れます。
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ザンゲ岩を過ぎたあたりから左側の天神尾根を登ってくる登山者がよく見えます。結構な数です。さぞかし頂上は大にぎわいでしょう。
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肩の小屋には寄らずにそのまま頂上を目指します。肩の小屋の右側に平標山まで続く稜線が見えます。憧れの稜線です。
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午前9時40分 山頂(トマの耳)到着です。
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予想通りすごい人の数です。それにしても大きな三角点です。

お隣のオキの耳(こちらの方が標高が高く1977m)も賑わっているようです。
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オキの耳で長めの休憩を取ることにして菓子パンをかじります。隣でお湯を沸かしてカップ麺を食べているグループがいました。カップ麺が非常に美味しそうに見えます。
いままで山での行動中の食事は,時間をかけずに簡単に食べられて,お腹がふくれればいいと考えていました。その代わり速く歩きたい,遠くまで行きたいと考えていました。しかし,今日は3時間も歩いていないのに,なんだか妙に疲れました。平標山までの縦走なんてとんでもないと思うぐらい疲れました。こんな時の元気の源は食事かなぁと隣のカップ麺を見て思いました。

そんなことを思いながら一ノ倉岳を目指して出発です。
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国境稜線から一ノ倉沢を上から覗きます。谷からクライマーの声が聞こえるので目をこらしますが,確認できませんでした。
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衝立岩,烏帽子岩です。
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11時05分一ノ倉岳到着。
ここから中芝新道(堅炭尾根)を下ります。登山地図だと破線で表されていて「難路」とされています。しかし,降り口を見るときれいに笹が刈られていて整備されているようです。
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11時20分下山開始です。
「難路」を予想していたので,堅炭尾根の上にきれいに登山道が見えてホッとします。
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しかし,尾根から芝倉沢に下降するあたりから道が険しくなります。道が深くえぐられ,滑りやすい岩が続きます。巌剛新道に感じが似ていますが,ロープや梯子はありません。それでも,灌木につかまりながら三点確保を意識し,慎重に下れば問題はありません。最大の難所は,沢に下りる手前にあります。岩・泥・草の切れた斜面をトラバース気味に下ります。黄色いペンキに沿って慎重に下ります。画像があればよいのですが,そんな余裕はありませんでした(^_^;)

12時30分芝倉沢の沢床に出ました。
冷たい沢の水で顔を洗います。
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旧国道までもう一息です。うっかり沢沿いに下っていったら大きな岩を越えるのに苦労しました。左岸の少し高いところにに巻道があります。

13時に旧国道に到着。旧国道といっても,このあたりは道が崩壊していてほとんど山道です。

13時40分 一ノ倉沢出会到着
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3時間前に通った国境稜線はガスの中です。

14時30分ロープウェイ駅の駐車場に到着しました。
さあ,お風呂だ!と思って谷川温泉の「湯テルメ」へ行こうと思いましたが,湯桧曽の「ホテル湯の陣」の日帰り入浴980円の看板を目にし新規開拓!と思い入ってみることにしました。大きな内湯に比べ露天風呂はこぢんまりとしたお風呂でした。空いていたし悪くはないけれど,次は湯テルメに行くかなぁ。(でも,この時間混んでいそうだな。)

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2010年10月14日 (木)

エンデュアランス号漂流

チリ北部コピアポ郊外の鉱山落盤事故で,地下約700メートルに閉じ込められた33人の作業員の救出作業が始まりました。今,この瞬間にも救出用のカプセルで地上に引き上げられている作業員の方がいることと思います。8月5日の事故発生から69日ぶりの生還です。

この落盤事故,そして救出劇の報道に接し思い出すのは,今から10数年前に読んだエンデュアランス号漂流」(新潮社)です。

エンデュアランス号漂流 (新潮文庫)
後に「エンデュアランス号」で南極大陸横断を目指す探検隊を率いることになるアーネスト・シャクルトンは,1902年ロバート・スコットの第一回南極探検隊に参加します。この探検行で,スコットらと共に南極点到達を目指しますが、残り733kmの地点で断念を余儀なくされました。

1909年,自ら南極探検隊を組織。ポニーが引くそりで南極点到達を目指しますが,食料の欠乏のため,南極点まであと180kmまで迫った地点(南緯88度23分)で引き返しています。

ロアール・アムンセンが1911年に南極点到達を果したことから、シャクルトンは目標を南極大陸横断に切り替え,1914年に「エンデュアランス号」にて南極に向け出航します。しかし,南極大陸まで320kmのところで氷塊に阻まれ,身動きが取れなくなります。10ヶ月ほど氷塊に囲まれたまま漂流を続けますが,氷の圧迫でエンデュアランス号が崩壊を始めたため,船を放棄し,徒歩にて(そして、氷山が溶けてからはボートにて)氷洋上を踏破し,約500km先のエレファント島に上陸を果たします。そこから分遣隊を率いて救命ボートで航海を行い,約1300km先のサウスジョージア島に救助を求め,さらに山脈を越え,ついに全隊員の救出に成功します。

約1年8ヶ月にわたる漂流にも関わらず,27名の隊員と共に,1人も欠けることなく生還を果しています。このあたりに今回の落盤事故に通じるものを感じます。( エンデュアランス号の方が期間も条件も厳しかったと思いますが。)

シャクルトンは,当初の探検目的は果たせなかったものの絶望的な状況下において隊員の希望を失わせず,かつ,冷静な判断と決断力で奇跡ともいえる全員帰還を成功させたことで,優れたリーダーとして今でも称えられています。実は結構気まぐれで短気だったという評伝もありますが,強烈な個性の隊員たちをまとめるには強いリーダーシップが必要だったのでしょう。

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2010年10月 4日 (月)

世界の果てまで!googleストリートビュー

前回「南極の石が欲しい」なんて書いたら… 何とgoogleストリートビューに南極が登場!

googleマップを見ていたら左隅の方に
「7つの大陸をストリートビューで探検しよう »」というのを見つけました。

覗いてみると,「ストリートビューで全 7 大陸が見られるようになりました。南極のペンギンからブラジルの砂浜まで、世界中のさまざまなスポットを探索しましょう。」と,日本の熊本城やブラジルのコパカバーナ海岸に混じって,「ハーフムーン島(南極大陸)」というのがあります。

早速,クリック!
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例の黄色いラインに沿って南極大陸観光ができます。ハーフムーン島は南米最南端のホーン岬から1,000kmにある島です。南極大陸の本土ではありませんが,気分はもう南極です。

googleストリートビューも南極まできては,残すはエベレストでしょう!
ベースキャンプから氷河のクレバスを越えて,ゴミの散乱するサウスコルへ。そして,回収されずにいる遭難者の脇を黄色いラインが頂上へ。世界一高いところからの360度のストリートビューを見てみたいものです。

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2010年10月 2日 (土)

エベレストの石

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坂東市の県立自然博物館で「エベレスト頂上の石」を見ました。ずいぶん前から展示されていたのでしょうが今まで気づきませんでした。

博物館のWEBの「博物館ニュース」によると
----------<以下引用>-----------
冒険家植村直己さんの持ち帰ったエベレストの石を展示(2002.5.23) 

世界で初めて5大陸の最高峰登頂に成功した冒険家の故植村直己さんが,エベレスト山に登頂した際に持ち帰った石が寄贈されました。これは,岩井市在住の木村勝久さんが所有していたものです。木村さんは,新聞社でカメラマンをしていたとき,1969年と1970年に植村さんに同行してエベレスト山に登り,植村さんから「山頂の石」としてプレゼントされたものです。
博物館では,木村さんの好意により寄贈していただいたこの石を第2展示室に常設しました。除幕式には,木村さんはもとより,植村公子夫人にもご出席いただきました。
----------<引用終わり>-----------

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なるほど。8年も前から展示されていたのですね。まったく気づきませんでした (^_^;)

子どもころ(高校生ごろまで?)何でも集めたがる子どもでした。切手やコインからはじまってマッチ箱やポスター,カタログ…置き場所に困った母親に何度も処分されそうになりました。

高校から山登りを始めたので,山頂の石を集め出しました。国内の3000m級の山頂の石を全部集めたい!と思っていましたが,高校生が登りに行ける山などたがが知れていたので,そう簡単には集まりませんでした。
大学に入ってからも拾い集めていたような気がしますが,いつの間にかやめてしまいました。いつやめたのかさえも覚えていないのですが。

集めた石は今でも実家の物置に入っているはずなんですが。

実は赤道の石は持っているので,南極の石とか欲しいですね。

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