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2010年9月13日 (月)

初秋の「後の」祭

昨日(9/12)も,今日(9/13)も朝から花火の音が聞こえます。

昨日は,百家の「竜水万灯祭」,今日は手代木の大鷲神社の「立花」でした。このブログでも何度かネタにしたことがあります。「竜水万灯祭」は数年前に家族で出かけました。(記事はこちら)素朴な火祭でしたが,ロケット花火がどこに飛んでくるか分からない!という迫力のお祭でした。ぜひ,もう一度見たいと思っています。

しかし,結局今年も「竜水万灯祭」も大鷲神社の「立花」も行けませんでした。行けなかった理由は,いくらでもあるのですが,ただただ残念。
まさに初秋の「後の祭り」…トホホ。

久しぶりの更新なのに,なんとも…。
まあ,ネタもないのですが。m(_ _)m

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コメント

はじめまして。いつも楽しく読んでいます。

大鷲神社の例祭には昨年から通い始めたのですが、今年は雰囲気が違っていて、山車を先導する花火がなく、松明に変わっていました。立花も去年までは内側から見ることができたのですが、今年は仕掛け花火の手前にロープが張られ、外から見るようになっていました。
その上、立花の後、去年にはなかったよさこいソーランの方々が入ってきました。なかなか始まらないのでどうしたのかなと思っていたのですが、知人が今年は200年だか300年だかの節目らしいよと教えてくれました。ああ、成程と得心していると今年の例祭の説明が始まりました。聞き取りにくかったのですが、今年が1200年目だとのこと。これにはびっくりしました。
結局今年は神事が長くて(1200年なら無理もありませんが)よさこいソーランが始まる前に帰ってしまったのですが、祭礼の後のノートやお菓子の配布は例年通りやっていたようです。
平安遷都と同時期というので、聞き間違えたかとも思ったのですが、市議の星田氏のブログにもそう書いてありました。
1200年を節目によさこいソーランが新しい伝統になるのかもしれません。

投稿: 松代住人 | 2010年9月15日 (水) 02時10分

松代住人さん
いつもご覧いただきありがとうございます。また今回はコメントまでいただき,とってもうれしいです。励みになります。(もっとマメに更新せねば ^^;)

ますます後悔させられるようなレポありがとうございます。(^_^)無理しても行けばよかった。

そうですか祭も年々変わるものなのですね。
よさこいソーランを初めて見たときには,その迫力やリズムに感動しましたが,今は子どもの運動会でも見かけるものになりました。新しい伝統になっていくのかもしれませんが,田舎の素朴な祭に表れた「外来種」のようで違和感を感じます。手代木の地元の方々が考えてやられているのでしょうから,外野がとやかく言うことではないことなのですが。

手代木集落は戦国期に佐竹勢に破れた小田方が小田城から逃れて住んだ土地で,その一族の氏神様が大鷲神社になったということが,確か「谷田部の歴史」に書かれていたような…。手元に無いので不正確でごめんなさい。小田が破れた手這坂の戦いが1569年なので,そこから数えても約440年。日本に火薬が入ってきたのもほぼ同時期のはず。鉄砲伝来が1543年ですね。
1200年目という数字は,何の出来事から1200年なのか謎ですね。

松代住人さんのおかげで,来年こそは気合いを入れて行くぞ~という気持ちになりました。ありがとうございます。

今後も気軽にコメントしてくださいね。

投稿: 平左衛門 | 2010年9月16日 (木) 00時21分

ありがとうございます。
お言葉に甘えて、続けます。

1200年についてですが、星田氏の2008年のエントリには810年から続いていると書かれてありました。何らかの伝承があるのでしょうね。
昨年のエントリには伊勢神宮から感謝状が贈られたということも書かれています。何の感謝状だったのかついつい気になってしまいます。

つくば新聞というサイトには、
「農業の神様として近隣の信仰が厚い。小田氏の一族で、その後この地に帰農した中島氏の氏神とされる。9月の縁日には、「立花」と呼ばれる花火のようなものを大勢で振りながら歩く行事が行われていた。しかし最近では、火災の恐れがあるため行われていない。」とありました。大勢ではなく2人でしたが、去年は花火を振りながら歩いていました。それでも危ないということになったのかもしれません。

今年は、よさこいソーラン自体もそうですが、よさこいソーラン用の音楽を流すためか、乗用車がドアとトランクを開けた状態で境内に止まっていたりして、若い人が仕切っている印象でした。1200年の節目だし若いもんに任せるか、というような感じだったのかもしれません。わたしもよさこいソーランには違和感を感じるクチなのですが、一方で、よさこいソーランを奉納するというのも面白い気もします。1200年続いているなら、立花の花火だって、途中から新しい伝統になったのでしょうしね。松明は案外その前に戻したということかもしれません。

投稿: 松代住人 | 2010年9月16日 (木) 01時36分

そうですね。やはり何らかの根拠があっての1200年なのでしょうね。
>1200年続いているなら、立花の花火だって、
>途中から新しい伝統になったのでしょうしね。
今みたいな形が1200年続いているわけではなく,いろいろ変遷があっての現在の形なのでしょう。わたしは初め,そこまで考えが至りませんでした。

ソーランも50年100年と続いていけば「伝統」になっていくかもしれません。続けるってことは大変なことですよね。

投稿: 平左衛門 | 2010年9月17日 (金) 17時45分

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