寺山修司忌
この季節になると思い出す光景がある。
甲府駅から乗った上りの中央線のボックス席の向かいの客が広げている新聞の見出し。
「奇才 寺山修司逝く」(と書いてあったかどうかは定かではない。)
肝硬変を患い入退院していたことは知っていたが,一年ほど前には,麻布十番の天井桟敷の事務所で何度か見かけた。彼の短編映画の上映が何度かあり,浪人中にもかかわらず足繁く通っていた。黒ずくめの背の高い本人を見かけたときには驚いたが,動揺を隠して軽く頭を下げると,丁寧に頭を下げてくれた。
南アルプスから下界に下りた安堵感と,山旅の余韻に浸っていた身には,非常に衝撃的だった。あれから,26年。だんだんと自分があの時の寺山の年齢に近づいてきている。
「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」
寺山 修司
そして,2日 忌野 清志郎が逝った。 合掌
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