祇園祭
7月の週末は各地で祇園祭が行われました。朝から花火が打ち上げられ雰囲気を盛り上げます。
現在の私の住む地区には祇園祭がありません。(子どもの時の話しはこちら。)
娘たちからは「どこか近くのお祭りを見に行こうよ」と迫られますが,お祭りは見るよりもやはり参加するもの。地元にお祭りがないのは寂しい限りです。
仕方がないので知り合いのいる町内のお祭りを見に行きました。ここは子どもの御神輿が元気に町内を練り歩いていました。
知り合いのお母さんに「お祭りがあっていいですね」と声をかけると「そうね」と返事をするものの「それが結構,親も大変でね」と苦笑いしていました。親の負担が嫌で子どもを参加させない家庭もあるとか。
「そんなことが許されるのか!」と思うのですが,新しく転入してきた人もだんだん多くなってきて「昔のようにはいかないのよ」という話しでした。
むむ~。何とも寂しい話しです。
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コメント
お祭りは参加するもの、私も同感です(^^;
でも、これは「楽しんで」参加してる側の意見なんですよね~
実家にはお祭りがあり、甥たちは朝早くから
お祭りルックで飛び出していきますが
親である妹は、苦痛だそうです(^^;
炊き出しも、付いて歩くのも、自分が楽しめないと
お祭りもただの苦痛になってしまうのでしょうねぇ・・・
「楽しめない人」がいると、楽しもうよ!と
頑張ってる人の気持ちも段々マイナスになってしまうようです。
投稿: babylon7 | 2008年8月 1日 (金) 13時26分
私のところのように地域の結びつきが弱く,夏祭りのようなイベントがあれば,子どものいる家庭もいない家庭も少しは関わりがもてるかな,ぐらいに考えている地域と
もともと近所との関わりの深いところでは,重い負担に感じる方もいらっしゃるのでしょうね。
どこかで合意形成をつくっていける場があるといいのですが。
投稿: 平左衛門 | 2008年8月 2日 (土) 08時26分
合意形成(笑)
社会学部でしたから。
旧部落(もともとの農村時代からの集落人口)と、新住民(研究学園都市建設以降の流入人口)の地域的な結びつきを同じくするのは不可能でしょうね。
やっても険悪になるばかり。
だから、楽しみたい人たちだけで盛り上がる。
これで良いんじゃないでしょうか。
それ以上は、彼らの言う「個人主義」でしょうし、「自己責任」です。
でも、懐かしい人間関係の存在しない故郷なんて、地名でしかありません。
近所のお姉ちゃんの後ろを、遅れないように一生懸命くっついていった土手。
自転車に乗れるようになった弟分を連れて、ザリガニを獲りに行ったたんぼ道。
暗くなるのも忘れて遊んでいたら、迎えに来たお母さんに怒られた帰り道。
そういった近隣の人間関係の基礎は、やはり大人達の地域的な結びつきだと思います。
我々は今、失われつつあるそれらの物を取り戻すべきじゃないか、と。
壮大な理由をつけ、いそいそとお酒を飲みに行くのですな(笑)
投稿: ロッキー | 2008年8月 5日 (火) 11時05分