小田城跡現地説明会
小田城といえば南北朝時代の北畠親房が「神皇正統記」を執筆した地として日本史の教科書に登場します。小田城や小田氏については,詳しく説明されているwebもありますので,そちらにおまかせするとして…
つくば市教育委員会では平成16年度から本発掘調査を行い,今年度は5年計画の4年目だそうです。その調査の説明会に行ってきました。
午後からの説明会に参加したのですが,小学生から地元のお年寄り,遠方よりお出での研究者(と勝手に想像しています),ざっと100名ぐらいの人たちが集まっていました。
今年度の調査成果として
○東虎口(こぐち=出入口)跡では3時期の変遷が確認され,改修されて使われ続くけた橋跡・門跡・道路跡が発見され虎口構造が明らかにされた。
○西池跡の調査が行われ,4時期の変遷が確認された。観賞用の池から水溜へと変化することが明らかにされた。
ことだそうです。
説明会で使われていた小田城本丸復元図です。「西池」「東虎口」は私が記入しました。
東虎口跡です。当時は,本丸を囲むように土塁が築かれ,虎口の所だけ切り取られ門が付けられていたようです 。
門の外は掘になっていて橋が架けられていたようです。
西池跡です。大きな石は観賞用として置かれた景石と思われます。
小田城跡からは 中国・朝鮮から輸入されたと思われる陶磁器なども多数出土しています。東国の田舎にあっても豊かな暮らしが伺えます。
小田氏の祖。八田知家は頼朝の信任厚く常陸国守護に任ぜられます。しかし,その後は,南北朝時代の混乱,戦国時代には上杉氏,佐竹氏,北条氏の間で翻弄されていきます。
小田城の主は,またそこに仕える者たちは,どのような思いで筑波の峰を仰いだのでしょうか。
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