十五夜
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何とも不思議な花です。
夏の終わりから秋の初めにかけて,高さ30~50センチの花茎が葉のない状態で地上に突出し,その先端に5~7個前後の花がつきます。開花後長さ30~50センチの線形の細い葉をロゼッタ状に出しますが,翌春になると葉は枯れてしまい,秋が近づくまで地表からは姿を消してしまいます。開花期には葉がなく、葉があるときは花がありません。 名前も不思議です。
秋の彼岸ごろに開花することに由来するらしいですが,別の説には,これを食べた後は「彼岸(死)」しかないという説ものもあるそうです。
全草に毒があり,特に鱗茎にアルカロイドを多く含む有毒植物。墓地や田畑の畦(あぜ)に多く生えているのは,ネズミ,モグラ,虫などがその鱗茎の毒を嫌って避けるように人手によって植えられものが多いらしいです。また,一方で鱗茎にはデンプンが多く含まれるために,水に長時間さらし毒を抜けば食用にもなり,飢饉の時の食用にするために畦に植えられたらしいとか。
人の生活に密接に関わってきた植物なのですね。
最近は見る機会も少なくなりましたが,子どもの頃は今頃の季節よく見かけました。その名前といい,色といい,毒があるという話しといい,その形といい,子どもながらにもちょっと独特の雰囲気のある不気味な花という印象がありました。
曼珠沙華咲いてここがわたしの寝るところ 山頭火
最も白いヒガンバナもあるそうでこちらは近くの花壇に植えられていました。
ずいぶん印象がちがいますね。
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ここ数年,夏には高い山か大きな沢に入りたいと思っています。が,今年も夢かなわず終わってしまいました。
しかし,例年とちょっとちがったのは,梅雨の前あたりから走り込んだり,早朝や夕方の筑波山に登に行ったりと,少し準備をしてきたことです。一番不安なのは体力なので,それが解消されれば山に入れる可能性が高まると考えたからです。
20代の頃,結構気合いを入れて山登りをしていた頃に,天候が悪かったりメンバーがそろわなかったりしたときに,よく先輩から「山は逃げないから(今回は中止しよう)」というようなことを言われました。また,自分自身も他の人,あるいは自分自身に言っていたように思います。
しかし,「山は逃げる」と感じる今日この頃です。
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つくば市百家(はっけ)の観音寺で行われた「竜水万灯祭」を見てきました。
竜水万灯祭は,「竜水花火」と呼ばれる古式のロケット花火を打ちあげ悪疫退散を願うお祭りです。事の始まりは、江戸中・後期に「疫病神が火薬を嫌う」という観音様のお告げから,花火で疫病神が寄り付かないようにとの願いから始まったそうです。 頭上高く勢いよく登りつめるロケット花火の様子が「天に昇る竜(龍)」に見えることからその名がついたと言われています。かつては800本ほど打ち上げられたそうですが,今回は竜水花火100本,菊形の奉納花火が100本打ち上げられると会場で放送されていました。
かつては9月17日や15日(旧敬老の日)に行われていたそうですが,現在は9月の第2日曜日に行われています。
午後7時少し前に着くように出かけました。駐車場は特にないと言うことだったので,観音寺東側の農道に車を止めました。観音寺からは大きな音で演歌が放送されていたのですが,あたりはあまり人気がありませんでした。車を農道に止めてよいものか迷いましたが,2車線の立派な道路で,交通量も少ないのでそこに止めました。(帰りに見ると車がいっぱいでした。花火は,この道路のわきの畑から打ち上げられるので,車の中から見ている人も多いようでした)
観音寺に着くと,ちょうど地域の方々が万灯の開催に当たって,安全祈願や来賓のあいさつを行っていました。
お寺なのに,御神酒を酌み交わしたり,手締めをしたりしているのが,何とも不思議な感じがしました。まあ江戸時代は神仏混合だったのでしょう?手締めのリズムは,初めて聞く独特のものでした。
午後7時30分ごろになって,やっと花火の開始です。竜水花火30本,奉納花火,竜水花火30本,奉納花火,竜水花火40本という順で打ち上げられていきます。
竜水花火は,どこに飛ぶのか分からない怖さがありました。きれいに真上に打ち上がる物もありますが,自分の方に向かって飛んでくる物もあって,ちょっとびっくりします。そのため,立入禁止区域をずいぶんと広く取っているようです。
明日は仕事や学校なので,私たちは8時少し過ぎに帰りました。(花火は8時30分ぐらいまで続くようでした)伊奈の綱火や大畑のからかさ万灯などと比べると,人の出も,花火の規模も小さく感じられましたが,素朴でおもしろい花火(お祭り)でした。
◇花火の打ち上げ場所は,観音寺の北側の畑の中の道路
◇車を止めたのは,観音寺の東側の南北に通る2車線の農道です。
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ツバメは,春,南の国から渡ってきて人家の軒先等でせっせと子育てをします。そして,巣立ったツバメたちは,せっせとエサを食べ栄養を蓄え,秋の渡りにそなえます。そのために、夏の間安心して夜を過ごすことのできる大きなヨシ原が必要です。
ところが,霞ヶ浦流域では,大きなヨシ原がほとんどなくなってしまいました。水資源開発や護岸をコンクリートでかためてしまったためです。しかし,少しずつそのヨシ原を見直そうとする動きがあります。ヨシによる水質浄化と生き物の住みかとして考えられているからです。
そんなヨシ原のひとつで「ツバメのねぐら入り」を見てきました。
5時30分頃に集合しましたが,曇っていてもまだ明るくツバメの姿はありません。もう少し薄暗くなるまで,虫の音を聞いたり,その姿を探したりしました。
6時頃になると,上空をムクドリが飛んだり,サギが飛んだりしてにぎやかになってきました。そのうち,ツバメが10羽,20羽と小さな塊になって飛び始めました。
6時10分過ぎになると,ものすごい数のツバメが飛んでいます。千羽なのか,一万羽なのか見当も付きませんが,凄い数です。つくばの学園地区で見られるムクドリのように,飛んでる全てが塊になっているわけではなく,結構勝手に飛んでいるように見えました。
6時20分だんだんと飛ぶ高さが低くなり,小さな塊ごとにアシ原の中に入っていきました。
6時30分あたりはすっかり暗くなり,ツバメたちの姿も見えなくなりました。 今回のツバメのねぐら入りは,NPO法人アサザ基金の観察会に参加しました。アサザ基金のHPはこちら です。
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