谷田部飛行場の掩体壕?
谷田部神社の例祭の時に,地元の方から
「研究団地ができる前までは,けっこう防空壕が残っていたんだけどね」という話を聞きました。さらに他の方からもお話を聞いていると,
「そう言えば,飛行機を隠した所がまだ残っているよ」
「(えーっ!)」
ということで,早速見に行ってみました。
今まで何度も通ったことのある大きな道路のすぐ脇でした。「産廃の残土が不法投棄されている」と言われれば,そう見えるような感じですが,何となく土手がU字型になっているようにも見えます。研究団地や大通りができる前からあった,というお話なので掩体壕の可能性も高いように思います。
谷田部飛行場周辺も戦時中は何度か空襲を受けたそうです。空襲の時には,飛行機は掩体壕に隠して,滑走路には木や竹で作った模型の飛行機を置いたそうです。
昭和23年に米軍が撮影した航空写真を見たことがあるのですが,そこには飛行場の周りに,屋根のない無蓋掩体壕がたくさん見られました。その航空写真と現在の地図を合わせると分かるかもしれません。
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コメント
おお~良いですねぇ、こういう趣向。
学生時代に、阿見町に残るツェッペリン号の格納庫の扉レールの跡があると教えてもらいましたが、行ってなかったですねぇ。
でも、レール跡と言っても、ほとんど線路(!)なんだとか。
そりゃあそうですよねえ、扉一枚が体育館の床面積よりも大きいって言うんですから。それが二枚、大きく開口する、見てみたかったですね~
そういえば、阿見町にはあのリンドバーグも飛来してますよね。なんでも料亭霞月楼で食事して、土浦に泊まったんだとか。
つくづく茨城県民は宣伝のセンスがないな~と思います。
欲が無いのか。
投稿: ロッキー | 2006年12月 9日 (土) 17時10分
ロッキーさん
ツェッペリン号の格納庫は写真で見たことがあるのですが,
体育館の床より大きいんですか!そりゃすごい!
そんな物(しかも立ってる)をよく動かせたものですね。
去年の今頃,阿見の有蓋掩体壕を見に行ったときに
ツェッペリン号の記念碑も見てきました。
とてもかわいらしい模型でしたが。
土浦は飛行船で“まちおこし”なんて話もあるようですが…
今日は寒かったですね。風邪などひいていらっしゃいませんか?
投稿: 平左衛門 | 2006年12月 9日 (土) 23時26分
おお、寒いですよねぇ、肩凝ってます。
残業したくないので早朝出勤するのですが、これが厳しい季節になってきました。
夏は爽やかで良いんですがね。
この季節は修行のようです。寒稽古みたいな。
娘も含めてインフルエンザワクチンは打ってきたので、警戒態勢は万全です。
投稿: ロッキー | 2006年12月11日 (月) 07時33分
>残業したくないので早朝出勤するのですが
おお!すごい。
私には,まねのできない技です。
早朝からジョギングしている人を見かけると,
その神々しい姿に,思わず手を合わせそうになります。
投稿: 平左衛門 | 2006年12月12日 (火) 23時50分
いやあ、これが最初のウチはなかなか・・
ですが、軌道に乗ると快適です。
仕事上の快適は、まず、朝には電話がかかってこないので、仕事に集中出来る。
メールの返信・ファックスの処理も、すぐ返ってこないので次々と処理出来る。
プライベート上の快適は、18:00~20:00には必ず家に着けるので、家族と夕食が摂れる。
ゆっくりお酒を飲んで、23:00には必ずダウンできる。
早朝にゴミ出しをやらされるのが玉にキズですが、結構快適なモンです。
投稿: ロッキー | 2006年12月16日 (土) 07時10分
なるほど。早起きは三文の得ってやつですね。
私の周りにも何人か朝型の人間がいるのですが,
やはり初めが大変だったけど,慣れれば快適と言っていました。
とても魅力的に思えるのだけれど,
この季節から始める自信はないなあ…
投稿: 平左衛門 | 2006年12月17日 (日) 18時25分