« まつりつくばに 巨大目玉 出現 | トップページ | 国際都市「つくば」を感じるとき »

2005年8月29日 (月)

谷田部飛行場の遺構は…

谷田部飛行場の跡を忍ばせるものはないものかと思い,「飛行場橋」周辺を歩いてみました。

yatabejinjya1 「谷田部神社」です。かつて,谷田部飛行場内にあったものを戦後,現在の位置(8/26「飛行場橋の謎」の地図参照)へ移設したそうです。覆屋の中にかつての神社が鎮座しています。毎年,11月23日「勤労感謝の日」に谷田部航空隊の関係者が集まって慰霊祭が行われているそうです。
※[訂正]11/23日に行われているのは関係者の慰霊祭ではなく,地域の方々が中心になって行われている谷田部神社の例祭だそうです。そこに,当時の関係者をお招きされているようです。(06/11/23)

神社の近くで農作業をされている方がいらしたので,お話を伺うことができました。戦後に近くの地区から嫁いでこられたということでした。昭和30年代までは,滑走路のコンクリートが残っていたこと。その後,農場として開拓され,やがて石をどけてやっと畑として使用できるようになったころに農林省の研究施設建設のために土地を買い上げられたこと。また,現在の筑波学園病院付近には兵舎があり,その後は「結核病院(療養所?)」として使われていた,というお話でした。神社の他にも何か当時の物が残されていないか伺ったが,もうほとんど無いだろうというお話でした。

実は,他の地元の方からもお話を伺う機会があり,「あそこのお宅の塀の一部は当時の兵舎の物だ」とか「○○家の門柱は,飛行場の正門を半分に切った物だ」等の情報を得ることができた。実際,その場に行って塀や門柱を見つけることもできました。なるほど確かに古そうな物でした。しかし,個人宅の物でもあるし,直接当家の方にお話を伺い確認をとったわけでもないので写真等をweb上に公開することは避けたいと考えています。

飛行場がないのに「飛行場橋」という疑問から,60数年前の歴史をさかのぼることができました。谷田部神社の前では,60数年前この社に手を合わせ戦地に赴いていった方々の心中を考えると,現在の平和な世の中のありがたさや大切さを感じずにはいられませんでした。


拡大地図を表示

|

« まつりつくばに 巨大目玉 出現 | トップページ | 国際都市「つくば」を感じるとき »

コメント

平左衛門の自己レスです。
「谷田部飛行場」「谷田部海軍飛行隊」を調べているときに,蒼空さんの「蒼空の果てに…」というwebを拝見しました。飛行術訓練生として谷田部で過ごし,その後特別攻撃隊員として待機中に終戦を迎えた方です。当時の軍での生活や死を前にした心情が書かれています。谷田部での生活や貴重な当時の写真も公開されています。
「蒼空の果てに…」 http://www.warbirds.jp/senri/index.html

投稿: 平左衛門 | 2005年8月31日 (水) 22時43分

谷田部飛行場についての貴重な研究結果を拝読しました。
地元の方に取材までされていて、精緻な手法に頭が下がります。
ぜひこのブログは永久保存されたく思います。

投稿: ジーダ | 2007年8月 8日 (水) 01時19分

ジーダさん
当ブログをご訪問いただきありがとうございます。
ちょっとしたきっかけで,谷田部飛行場について
調べ始めましたが,だんだんと興味を持ち,
歩き回るようになりました。
60数年前に身近なところにあったものを,
少しでも次につないでいけたらいいなと思っています。

谷田部飛行場についての記事も少したまったので
カテゴリーを分けようかなとも思っているのですが
なかなか腰が重くて(^^;)

ぜひ,またお立ち寄り下さい。

投稿: 平左衛門 | 2007年8月11日 (土) 16時35分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/130813/5691767

この記事へのトラックバック一覧です: 谷田部飛行場の遺構は…:

« まつりつくばに 巨大目玉 出現 | トップページ | 国際都市「つくば」を感じるとき »